昭和41年12月26日 夜の御理解
中村良一
先ほど、夕食の後で、私はその、控えに居りましたが、勝手のほうで、大きな声で、豊美が、誰かとこう、お話をしております。それが、何かと思うたら、一生懸命その、信心の共励をやってる訳です。それで私が、隣から、しきりに、友達が来てござるなぁと、私は思うた。どんな事を話しておるかというとですね。今日こそは、今日こそはと思うて、朝の御理解を、まぁ、一生懸命頂いてから、その行じようと思うておると。ところがその、実際に聞いて、振り返ってみると、思い出しておるという事が少なくて、いわゆるその、こんな時間が多いと、本当に、残念な事に思うた。ですから、そのために修行させてもらうと言ったような意味の話を話してるんです。それで、誰と話しておるかというたら、愛子と二人で、一生懸命話しておるんです。有難い。兄妹があの、こうして信心の共励が出来れるという事は、本当に有難い。親子が、兄妹が。もう、自分のそばにある人と、信心の話が出来ると言うことは、そんなに有難い事はない。しかも、もう一生懸命、そんな話をしてるんですねぇ。ほんにそれは、豊美に限らず、皆がそうですけれども、その証拠に、おかげを頂く。その証拠に、なるほど、その信心が、あるのやら、無いのやら分らん様な、思い方をしたり、行動にあったりする事が、あまりに、お互いに多い。本当に、私だけのことじゃないなぁと、私、思わせて頂いてから、その話を聞きながら、あの、二人が、兄妹、一生懸命、御祈念の、信心の共励をやってる事を、神様にお礼申させて頂きよりましたら、木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には、礼を言う心持を忘れるなという、あの御理解を頂くんです。これは、はぁ、本当に、あぁこうじゃないです。理屈じゃないです。分かるという事はです。何が分るかというと、ここが分るために、様々な御教えがあるという事です。なるほど、信心をさせて頂く者は、木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には、礼を言うような心持というものがです。いわゆる、自分の信条、自分の身になってしまう、心になってしまう。皆さんも、例えば、お食事をする時には、必ず、 拍手して、まぁ、椛目では、御神訓を唱えることや祈ることが本当だと、私が思うから、必ずその、御祈念の形を取ります。祈ると、このお食事を頂かせていただかれるという事が大事なんだと。どうぞ、私の五体の血に肉にならせていただきますようにという意味の願いを持ってしか、箸を取らないです。これはまぁ、気にさせていただいておられれば、みんな、その時だけは、お互いが忘れんだろうと思うんですから、ね。そういうように、例えばその、木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には、礼を言う心持という、いわゆる、感謝の心というものをです。感謝の心が、湧いても湧かんでもです。私はその、お礼を申し上げる、感謝をする、いわば、何かを、ここに表現していくと。言葉の上に。同時に私は、そうした、気の切り株に腰を下ろしても、立つ時には礼を言う心持という様なものがです。私はあの、心に湧いてきたときには、私はもう、日に何回でも良いから、御神前に出たら良いと思うですねぇ。特に、霊神様の前に出らせて頂く時にです。本当に、ご先祖に対するところの、もう本当に、心からのお礼が申し上げれると。
例えば、ここでいうなら、私で言うならば、本当に、心の底から、有難いと思う時には、初代、先代、ね。私共の信心の先輩の先生方の、ご信心、そのお徳と言うものに対してですたい、感謝を捧げなければおられない。とにかく、感謝を捧げる生活というのが、信心生活なのですから、ね。神様の前に、御霊様の前に、または、あるものの前に、ある事柄の前に、木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には、礼を言う心持という事をです。私共の信心の信条としなければならない。ね。
私共が、そうして、有難うございますと、こう、お礼を申し上げていくところに、朝の御理解が、はっきり、その途端に浮かんでくるだろうと、こう思う。有難うございますと、お礼を申し上げる時に、私の行じておる事がです。いわゆる、私の言うておる事が、しておる事が、今、私の思うておる事が、その度々に、反省する事が出来ると思うんですね。確かに、その信心には、感謝の、いわば生活。しかもそれは、木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には、礼を言う心持になれよと言う。あぁもう、これは、どうしてこげん違う訳じゃろうか。もう、雨ばっかり降って困ると言う前に、さしておる傘に、履いておる長靴にお礼を言う気持ちがあれば、いわば、お湿りの日でも、お湿りの日に対して、不平不足を言うことは要らん。ね。んー、ちょいと寒かと、いわゆる、不平不足を言う前にです、ね。やはり、ぬくぬくと、こう着せて頂いておる着物の事に、暖を取っておるなら、暖房の事にです。お礼を申し上げる心があると、寒さに不平不足をいう事は要らん。結局、感謝の心がないところにです。天地の、いわば、お天気の事にまで不平不足を言わなければならない様な事になってくるのです。ね。木の切り株に腰を下ろしても、立つ時には、礼を言う心持をです。いよいよ、自分のものにしていかなければなりませんよね。どうぞ。